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2012年01月30日

タイムス出版文化賞受賞報告




事務所の掲示板下に沖縄タイムス出版文化賞の賞状と賞牌、『竹富方言辞典』が飾られている(写真)。去る24日夜の受賞式でいただいたもの。南山舎のタイムス賞受賞はこれで4回目だが、島の小さな出版社にとってはとても励みになる賞だ。ありがたい。

受賞式は新沖縄文学賞も合同で、まず舞台上でいわゆる型どおりの受賞式。わが『竹富方言辞典』は著者の前新透先生、編著者の波照間永吉・高嶺方佑・入里照男各先生、そして南山舎も賞をいただいた。その後記念撮影(翌日の新聞に写真が載った)。

受賞式のあと、その場を立食形式のパーティ会場に変え受賞祝賀会となった。受賞者が家族・友人・知人など関係者に囲まれて、にぎやかな華やいだ雰囲気。わたしのところにも親戚や友人・知人がお祝いに来てくれたのだが、そんななかに比嘉康文さんがいた。

比嘉さんと知り合ったのは1980年代の初めごろだったと思う。確かアナタハンの比嘉和子を調べに大宅壮一文庫に来たのではなかったか。沖縄の埋もれた歴史を掘り起こすのだと汗を拭き拭きそのバイタリティあふれる身体が言っていた。

当時東京に住みながら沖縄のことがむしょうに気になっていたわが身に比嘉さんの「沖縄」がまるごとビンビン伝わって、その数年後にわたしは石垣島に帰ることになるのだが、おそらく比嘉さんの身体と汗が与えた影響も小さくなかったと思う。

比嘉さんはその後沖縄タイムスの記者を辞めフリーのライターとなって『鳥たちが村を救った』(同時代社)『「沖縄独立」の系譜』(琉球新報社)などを世に問い、最近『わが身は炎となりて』(新星出版)を上梓した。比嘉さんのたたかいは続いている。

比嘉さんと握手しながら、初めて沖縄タイムス出版賞を受賞したときの夜のことを思い出した。賞状と賞牌を入れた紙袋を手に場末?の酒場のカウンターでふたり飲んだ。どんな話をしたのか覚えていない。ことばはあまり必要なかったのだと思う。ただ古ぼけた店の昔懐かしい沖縄の匂いだけが記憶に残っている。

さて、気がつくと比嘉さんはいなくなっていたが、祝賀会場では受賞者のスピーチが進んでいた。が、あちこちで喜びの輪ができて、ざわざわと騒々しく関係者以外は聞いているふうがない。

そこでいよいよ『竹富方言辞典』組のスピーチ。壇上に並んで、まず透先生の「挨拶」をご子息(二男)の出氏が代読した。「これはみんなの協力でできました。うつぐみ辞典です」というような内容。つづいた方祐先生、竹富方言でのスピーチのあと大声で「トゥンチャーマ」を歌い始めた。

これに会場全体が引き込まれた。壇上のわれわれも手拍子をとって歌うと、会場の竹富出身者たちも声をあわせた。歌ったのは1番の歌詞だけだが、いい歌詞なので最後まで紹介しておこう。(『南島歌謡大成Ⅳ八重山篇』より)

あがとから 来(く)る船(ふに)や  (あんな遠くから来る船は)
ばがいぬ とぅんちゃーま  (我が上の神船)
ウヤキユーバ タボウラル (囃子 *以下略)

うはらから 来(く)る船(ふに)や  (うはら<東方>から来る船は)
何(なゆ)しちゃる 来(く)る船(ふに)  (どのようにして来る船)

弥勒世(みるくゆう)ば 載(ぬ)しおうる  (弥勒世を乗せて来なさる)
神(かん)ぬ世(ゆう)ば ぬしおうる  (神の世を乗せて来なさる)

竹富(たきどぅん)に とぅるすき  (竹富<島>に取りつけ)
仲立(なかだてぃ)に とぅるすき  (仲立<島>に取りつけ)

みるく世(ゆう)ば 抱(だ)ぎうるし  (弥勒世を抱き下ろし)
神(かん)ぬ世(ゆう)ば 抱(だ)ぎうるし  (神の世を抱き下ろし)

家(やや)ぬ 家(やや)ぐとぅ (家の家ごと)
きぶるぬ きぶるぐとぅ  (煙の煙ごと<各家>)

俵世(たばらゆう)ば たぼうられ  (俵の世をいただき)
舛(ます)ぬ世(ゆう)ば たぼうられ  (舛の世をいただき)

……いってみればこの賞もわれわれにとっては「あがとから来る船」のようにありがたいもの。おそらく会場の4分の1は竹富出身者で埋まっていたと思う。大合唱となった。おかげでざわついていた会場がひとつになった。

照男先生も方言でスピーチし、永吉先生も「クヤナラ、ばぬ(我)や波照間永吉てぃどぅ…」と竹富方言で始めたのに、わたしも続けばカッコよかったのに、ああなんてことだ、わたしは普通に日本語で「南山舎の…」とやってしまった。が、歌と方言の効用は大きくて、みんな静かに聞いてくれた。

わたしは、『竹富方言辞典』の完成がチームワークの勝利であること、タイムス出版文化賞が版元をも表彰してくれることはありがたい、と話した。が、時間があればもう少し話したいことがあった。で、二次会のいわば「身内」だけの席で次のようなことを話した。

「南山舎を立ち上げて25年になりますが、この『竹富方言辞典』を完成させてはじめてやっと半人前の出版人になったような気がします。この仕事を完成させる過程でいろんなことを教えられ考えさせられました。3つの大事なことがあると思いました。まずチームワークの大事さ。それから徹底することの大事さ。そして、神様はいるという信念。チームワークは言うまでもないことですが(編著者の先生方、手伝ってくれた専門家のみなさん、ウチのスタッフもほんとうによくやってくれました)、徹底することの大事さは波照間先生に教えられました。7年の間にはいろんなことがありました。いちばん苦しかったのは透先生が体調を崩されたとき。<遺稿集にするのかと教え子たちに言われる>という透先生のことばがいつも脳裏にありました。そんななかでも、原稿を整理する過程で新しい言葉が次々に出て項目立てをする。それに付随する言葉の説明、例文等が必要になります。透先生の体調に加え時間がかかれば金もかかります。一刻も早く辞典を完成させたいわたしとしては省略できるところは省略してほしい。しかし波照間先生は頑として譲りませんでした。今にしてわかるのですが、波照間先生がいい加減なところで譲歩していたら、『竹富方言辞典』はホンモノの辞典にはならなかった。始めたら徹底すること、を教えられました。その後、透先生は体調を持ち直しました。そうでなかったときのことを想像すると今でもゾッとします。苦しいことは他にもたくさんありました。しかし、辞典はすばらしい形で完成し、大きな評価を受けました。神様はいるのだと思うことにしました。そう思うことで自分自身を鼓舞し次につなげることができるわけで、すべてに感謝です」

昨年2月に辞典が完成して1年(正確に言うとその7年前から)めまぐるしかった。現在の心境を言うと、「ホッとしている」といったところ。沖縄タイムス出版文化賞でひとまず一段落。辞典の音声版のことが残っているが、やっとゆっくりと次のことが考えられそう。

前回のブログにも書いたが、今年は南山舎の25周年、『月刊やいま』の創刊20周年。さて、これから。乞う、ご期待。



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