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2012年01月30日

タイムス出版文化賞受賞報告




事務所の掲示板下に沖縄タイムス出版文化賞の賞状と賞牌、『竹富方言辞典』が飾られている(写真)。去る24日夜の受賞式でいただいたもの。南山舎のタイムス賞受賞はこれで4回目だが、島の小さな出版社にとってはとても励みになる賞だ。ありがたい。

受賞式は新沖縄文学賞も合同で、まず舞台上でいわゆる型どおりの受賞式。わが『竹富方言辞典』は著者の前新透先生、編著者の波照間永吉・高嶺方佑・入里照男各先生、そして南山舎も賞をいただいた。その後記念撮影(翌日の新聞に写真が載った)。

受賞式のあと、その場を立食形式のパーティ会場に変え受賞祝賀会となった。受賞者が家族・友人・知人など関係者に囲まれて、にぎやかな華やいだ雰囲気。わたしのところにも親戚や友人・知人がお祝いに来てくれたのだが、そんななかに比嘉康文さんがいた。

比嘉さんと知り合ったのは1980年代の初めごろだったと思う。確かアナタハンの比嘉和子を調べに大宅壮一文庫に来たのではなかったか。沖縄の埋もれた歴史を掘り起こすのだと汗を拭き拭きそのバイタリティあふれる身体が言っていた。

当時東京に住みながら沖縄のことがむしょうに気になっていたわが身に比嘉さんの「沖縄」がまるごとビンビン伝わって、その数年後にわたしは石垣島に帰ることになるのだが、おそらく比嘉さんの身体と汗が与えた影響も小さくなかったと思う。

比嘉さんはその後沖縄タイムスの記者を辞めフリーのライターとなって『鳥たちが村を救った』(同時代社)『「沖縄独立」の系譜』(琉球新報社)などを世に問い、最近『わが身は炎となりて』(新星出版)を上梓した。比嘉さんのたたかいは続いている。

比嘉さんと握手しながら、初めて沖縄タイムス出版賞を受賞したときの夜のことを思い出した。賞状と賞牌を入れた紙袋を手に場末?の酒場のカウンターでふたり飲んだ。どんな話をしたのか覚えていない。ことばはあまり必要なかったのだと思う。ただ古ぼけた店の昔懐かしい沖縄の匂いだけが記憶に残っている。

さて、気がつくと比嘉さんはいなくなっていたが、祝賀会場では受賞者のスピーチが進んでいた。が、あちこちで喜びの輪ができて、ざわざわと騒々しく関係者以外は聞いているふうがない。

そこでいよいよ『竹富方言辞典』組のスピーチ。壇上に並んで、まず透先生の「挨拶」をご子息(二男)の出氏が代読した。「これはみんなの協力でできました。うつぐみ辞典です」というような内容。つづいた方祐先生、竹富方言でのスピーチのあと大声で「トゥンチャーマ」を歌い始めた。

これに会場全体が引き込まれた。壇上のわれわれも手拍子をとって歌うと、会場の竹富出身者たちも声をあわせた。歌ったのは1番の歌詞だけだが、いい歌詞なので最後まで紹介しておこう。(『南島歌謡大成Ⅳ八重山篇』より)

あがとから 来(く)る船(ふに)や  (あんな遠くから来る船は)
ばがいぬ とぅんちゃーま  (我が上の神船)
ウヤキユーバ タボウラル (囃子 *以下略)

うはらから 来(く)る船(ふに)や  (うはら<東方>から来る船は)
何(なゆ)しちゃる 来(く)る船(ふに)  (どのようにして来る船)

弥勒世(みるくゆう)ば 載(ぬ)しおうる  (弥勒世を乗せて来なさる)
神(かん)ぬ世(ゆう)ば ぬしおうる  (神の世を乗せて来なさる)

竹富(たきどぅん)に とぅるすき  (竹富<島>に取りつけ)
仲立(なかだてぃ)に とぅるすき  (仲立<島>に取りつけ)

みるく世(ゆう)ば 抱(だ)ぎうるし  (弥勒世を抱き下ろし)
神(かん)ぬ世(ゆう)ば 抱(だ)ぎうるし  (神の世を抱き下ろし)

家(やや)ぬ 家(やや)ぐとぅ (家の家ごと)
きぶるぬ きぶるぐとぅ  (煙の煙ごと<各家>)

俵世(たばらゆう)ば たぼうられ  (俵の世をいただき)
舛(ます)ぬ世(ゆう)ば たぼうられ  (舛の世をいただき)

……いってみればこの賞もわれわれにとっては「あがとから来る船」のようにありがたいもの。おそらく会場の4分の1は竹富出身者で埋まっていたと思う。大合唱となった。おかげでざわついていた会場がひとつになった。

照男先生も方言でスピーチし、永吉先生も「クヤナラ、ばぬ(我)や波照間永吉てぃどぅ…」と竹富方言で始めたのに、わたしも続けばカッコよかったのに、ああなんてことだ、わたしは普通に日本語で「南山舎の…」とやってしまった。が、歌と方言の効用は大きくて、みんな静かに聞いてくれた。

わたしは、『竹富方言辞典』の完成がチームワークの勝利であること、タイムス出版文化賞が版元をも表彰してくれることはありがたい、と話した。が、時間があればもう少し話したいことがあった。で、二次会のいわば「身内」だけの席で次のようなことを話した。

「南山舎を立ち上げて25年になりますが、この『竹富方言辞典』を完成させてはじめてやっと半人前の出版人になったような気がします。この仕事を完成させる過程でいろんなことを教えられ考えさせられました。3つの大事なことがあると思いました。まずチームワークの大事さ。それから徹底することの大事さ。そして、神様はいるという信念。チームワークは言うまでもないことですが(編著者の先生方、手伝ってくれた専門家のみなさん、ウチのスタッフもほんとうによくやってくれました)、徹底することの大事さは波照間先生に教えられました。7年の間にはいろんなことがありました。いちばん苦しかったのは透先生が体調を崩されたとき。<遺稿集にするのかと教え子たちに言われる>という透先生のことばがいつも脳裏にありました。そんななかでも、原稿を整理する過程で新しい言葉が次々に出て項目立てをする。それに付随する言葉の説明、例文等が必要になります。透先生の体調に加え時間がかかれば金もかかります。一刻も早く辞典を完成させたいわたしとしては省略できるところは省略してほしい。しかし波照間先生は頑として譲りませんでした。今にしてわかるのですが、波照間先生がいい加減なところで譲歩していたら、『竹富方言辞典』はホンモノの辞典にはならなかった。始めたら徹底すること、を教えられました。その後、透先生は体調を持ち直しました。そうでなかったときのことを想像すると今でもゾッとします。苦しいことは他にもたくさんありました。しかし、辞典はすばらしい形で完成し、大きな評価を受けました。神様はいるのだと思うことにしました。そう思うことで自分自身を鼓舞し次につなげることができるわけで、すべてに感謝です」

昨年2月に辞典が完成して1年(正確に言うとその7年前から)めまぐるしかった。現在の心境を言うと、「ホッとしている」といったところ。沖縄タイムス出版文化賞でひとまず一段落。辞典の音声版のことが残っているが、やっとゆっくりと次のことが考えられそう。

前回のブログにも書いたが、今年は南山舎の25周年、『月刊やいま』の創刊20周年。さて、これから。乞う、ご期待。
  

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2012年01月19日

『竹富方言辞典』沖縄タイムス出版文化賞!




『竹富方言辞典』が沖縄タイムス出版文化賞特別賞に選ばれた。1月16日付沖縄タイムス紙上で発表された。特別賞は他に『使琉球録』(榕樹書林)。正賞は『奄美沖縄環境史資料資料集成』(南方新社)が受賞した。

社告によると沖縄タイムス出版文化賞は「県内出版文化の向上と出版活動の向上を図るため、沖縄に関わる一般刊行物の中から優れた図書を選び、著作および発行所を表彰する事業」である。

著作だけではなく発行所にも賞をくれるというのはなかなかないこと。われわれ本をつくる側からしてみれば、縁の下の存在である出版社を表彰してくださるのは大変ありがたく嬉しいことである。

南山舎は沖縄タイムス出版文化賞をこれまでに3回いただいている。大田静男著『八重山の戦争』(1996年)、松田良孝著『八重山の台湾人』(2004年)、あざみ屋・ミンサー記念事業委員会『ミンサー全書』(2009年)である。

受賞祝賀会の席上、その都度、「発行所も表彰してくださるとは、さすが沖縄タイムス」とスピーチをしてきたが、今回もまた同じように謝意を表そうと思っている。次もあればまた同じことを言うつもりだが、よもや「同じスピーチ聞き飽きたから次から賞は無し」とはならぬよう、願いたい。

今回もうひとつ嬉しいことは、著者の前新透先生だけでなく、編著者の波照間永吉・高嶺方祐・入里照男各先生も同時に表彰されることである。これもまたなかなかないこと。沖縄タイムス社の配慮に感謝である。

まえにも書いたが、『竹富方言辞典』は前新透先生が言うようにまさに「うつぐみ(協力)」によって完成した辞典である。前新先生が20年かけて築いた土台を編著者の先生方が7年かけてキチンとした形に整えた。編著者の先生方の力添えでそれは辞典になったのである。

高嶺方祐・入里照男両先生は前新先生と同じ竹富島出身、しかも前新先生の教え子である。また、波照間永吉先生は竹富婿で、この作業中に判明したのだが、入里先生と親戚である。じつはかく言うわたしも竹富婿で前新先生とは親戚にあたる。


おそらくタッグがよかったのである。「地の利は人の和に如かず」というが、竹富つながりの和ができたのであるから、鬼に金棒だったのだろう。大声で言うのは恥ずかしいが、「天の配剤」と他人に聴かれぬようにそっと言ってみたい気分。

そんなふうにしてできた『竹富方言辞典』だから、著者とともに編著者・発行所みんなで賞がいただけるとなると、体育会系のノリでみんなで肩を組んで快哉を叫びたいくらいだ。その快哉の輪の上には、きっと『竹富方言辞典』(重いけど)が浮いているにちがいない。

毎年気にしているからわかるのだが、沖縄タイムス出版文化賞は例年12月に発表されるのだが、今回は年を越しての発表となった。やきもきしていたのだが、南山舎としてはむしろこれでよかったと思っている。

というのも、新しい年をまず嬉しいことで迎えることができたから。昨年南山舎は『竹富方言辞典』で明けて『竹富方言辞典』で暮れた。暮れの八重山毎日文化賞、菊池寛賞で嬉しいことがぷつりと途切れずに、今年も春から~というのは気分がいい。

とくに今年は南山舎は創立25周年。『月刊やいま』は創刊20年になる。記念事業、キャンペーンなどを企画している(いずれ発表します)が、去年のいいことが今年もつづいて欲しいなあと思っている身にとっては、年の初めの受賞は嬉しい。

表彰式・祝賀会は1月24日(火)午後6時30分からパシフィックホテル沖縄でおこなわれる。(その様子はいずれまた報告します)



  

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2012年01月04日

年の初めの独り言



新年明けましておめでとうございます。

昨年は東日本大震災、原発事故という未曾有の大災害によって多くの命が失われ、多くの人が生活を奪われ、不安と混乱が日本中を覆った一年でしたが、お互いに助け合って希望を見出そうと決意した一年でもありました。

今年は、被災地が一日も早く復興なって、日本中に、イイクトゥタンガー、アラショウリティリ、ニガイサリルンユー。(良いことばかりがありますように願っています)


暮れから昨日の正月三が日の昼まで、掃除で少しばかり体を動かしたほかは家でゴロゴロしていたので、体重が1キロあまりも増えてしまった。こりゃイカンと、重くなった腰をあげて、夕方、ヒラタバル(平田原)の田んぼ地帯を1時間ばかり歩いた。

正月だというのにふたりの人が田んぼに出て仕事をしていた。ひとりはトラクターで田んぼを鋤き起こしているようだった(それ初興し?)。トラクターのまわりにアマサギが群がっていた。地表に出てくる小動物を食べるためだ。もうひとりは、稔った稲の手入れをしていた(そうなんです、じつはここ八重山では、稲の三期作ができるのです)。上の写真が、それ。で、ただ歩くのは退屈だから年の初めの独り言。


大事なのは、島がガンッと強くなって不動のものになることだよな、と思う。そのためには島人がしっかりしていて、さらに産業の基盤がしっかりしていること。外からやってくる大波にいつの時代も翻弄されてきた島だからこそベースをしっかりとしておきたい。(いきなりまじめな話かい! じつは東日本大震災以来、「波」のことが気になっているのです) 

それぞれが規模の小さなもので成り立っているのが島。そんな島のベースづくりに必要なものは、やはりズンブン(知恵)とうつぐみ(竹富の方言で協力の意)だな。うつぐみを実践するとなるとさしずめネットワークとか地産地消とかになるかな。

例えば三期米のような新しいものをつくるズンブンがあって、それをまず島人自身が消費するネットワークが確立されると島の農業はもっと発展するだろうけど、問題はネットワークがなかなかつくれないことにあるよな。力のない者はお互い力をあわせて協力するしかないのだが、いいものがあちらでプカリ、こちらでプカリ浮いているだけでは、いずれ力の強いものに掠め取られる。

だから、最近できた「ゆらてぃく市場」(月刊やいま正月号で特集しています)などはいい試みだと思う。島の農産物を一堂に集め生産者と消費者をつないでいる。しかし「意義や良し」と胡坐をかかないで、例えばダサイ感じをなんとかするとか人を呼び込む工夫をするとか、これから先ズンブンをもっと出さなければ継続が難しくなるのではないか。継続こそが島の大命題。であるなら、先を、もっと先を。

観光産業におけるズンブンをつかったベースアップも、これはもう八重山のいちばん大きな産業だけに、とても大事なこと。

最近、一時のブームが翳って八重山にやってくる観光客が減少している。で、多くの島人は、新空港(来年3月開港予定)ができたら観光客が増えて景気が回復するだろうと期待している。しかし道を広くしてハコモノをつくることに過剰に期待してはいないか。胡坐をかいて、島は潤っていくだろうと安易に思っていないか。

これまで観光産業中心にやってきた八重山。間違いではなかったし、今後も観光産業は大事だと思うからこそ、考え方を少し変える必要があるのではないか。つまり今までのように外からやってくる観光に頼りすぎるのでなく、ズンブンをつかって内側から誘発しネットワークで繋がる観光の仕組みづくりを考えていくべきではないか。

外の波に期待しただけに、そうでなかったときの失望感。やがて焦燥感がつのってうまい儲け話にすぐ乗ってしまい、右といえば右に、左といえば左に、とはなりたくない。観光は本来外圧だから多少の影響は仕方ない。しかしこれも程度であって、島が揺らいでは元も子もない。

だから観光もベースアップが必要なのだ。自ら意図した観光なら我慢もできるし、ドッシリ構えて波をやりすごすこともできる。そのためには一過性のものでなく、人と人の交流が積み重なってリピーターが増えるというような観光のあり方が大事だが、ならば、例えば大学のようなものはどうか。

1千人の学生が島に住めば、親、親戚、友人…その何倍もの人が確実に島を訪れ、また彼らは島を去ってもリピーターとなる。そのような確固たるシステム。そういうシステムの構築こそが島には必要だ。

はっさ、今どきの少子化時代に大学なんて実現性のない話だ、という声が聞こえてきそうだが、そんな声は無視しよう。なにしろあの大波のことを考えると、大事なものを守るためには、今、どんな苦労も努力も惜しんではならないという思いにさせられるのだ。

島に稔り多き年でありますように。
  

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2011年12月13日

菊池寛賞受賞報告



12月2日。久しぶりの東京は気温7度。あらかじめ「寒い」と聞いていたので、ズボンの下から黒いズボン下(えっ、スパッツと言うの?)を穿いていた。そのスパッツとやら、薄いけれどもなかなかのスグレもの。夏物のスーツ(なにしろ出発前の八重山は気温20数度)の下でもがっちりと冷気を遮断してくれた。もっとも、菊池寛賞受賞という心の昂りも影響してあまり寒さを感じなかったのかもしれない。

菊池寛賞の受賞式はホテルオークラ曙の間で17時からおこなわれた。受賞式前の控え室。前新透先生はご子息の健氏に伴われて車椅子の上だが、赤いリボンをつけて晴れやかな空気に包まれて幸せそう。ほかの受賞者にまじって選考顧問の半藤一利氏の顔がみえる。しばらくして東海林さお氏が現れ、養老孟司氏も姿を見せた。

養老氏はしばしば八重山に見えるというので自己紹介をさせてもらおうかと思ったが、結局やめた。なぜだか於茂登林道あたりでバッタリ会える気がしたからだ。しかしよくよく考えてみるとその確率は0に等しい。なにしろ私が於茂登林道に行くのは年に数回ほどだし、養老氏が島に来るのは……、ああ、あ。でも、今回の『竹富方言辞典』の菊池寛賞受賞のように7万5千分の1の奇跡もあるし、まあ於茂登林道でなくても八重山のどこかで会えるだろう、と思うことにした。思うことにする…、ふりかえると、そんなふうに生きてきた。が、後悔はない。

数百人のなかでのにぎやかな受賞式。金屏風の上の方には「第59回菊池寛賞贈呈式」の大きな文字。選考顧問を代表して祝辞を述べた養老孟司は「いろいろ選考委員をしているがこの賞がいちばん好きだ。文章を読んだりするのに比べて楽だから」と笑わせた。主催者・日本文学振興会理事長(文藝春秋社長)の平尾隆弘氏は、今回の菊池寛賞は現在の日本の状況を象徴する人たちが選ばれた旨の「ご挨拶」をした。竹富方言の「ミーハイユ(ありがとう)」を交えて。

受賞者は、津村節子、新藤兼人、石巻日日新聞社と河北新報社、前新透「竹富方言辞典」(南山舎)、澤穂希、水戸岡鋭治の各氏。……なでしこジャパン(今年の流行語大賞!)の澤穂希は受賞式に参加できず、ビデオレターという形で「受賞のことば」が場内に流された。われら八重山からの参加組はがっかり。いっしょに写真を撮るのを楽しみにしていたし、せめてそのお姿だけでもカメラに収めようと話し合っていたのだが、まことに残念!

前新透先生は車椅子のまま壇上にあがって、平尾理事長から目録をもらって一礼。少し緊張している様子だったが、堂々として見えた。「受賞のことば」は編著者を代表して波照間永吉先生がおこなった。「ヒサレー、ヒサレー、クヨーナーラ……(申し上げます、申し上げます、こんばんは……)」とまず竹富方言ではじめ、「共通語とこんなにも違う言葉が、人口320名の竹富島にあり、こんな小さな島の方言を記録した辞典が賞を受けたのは有り難い。方言を継承していくために今後音声版にも取り組んでいきたい」と話した。

受賞式のあとは、受賞者の関係者が壇上でそれぞれ記念撮影をおこなった。わが『竹富方言辞典』関係者がいちばん大人数ではなかったかと思う。透先生を中心に30人ほどが写真に収まった。新藤兼人監督は津川雅彦、大竹しのぶともうひとり、男の俳優(テレビでよく見るが名前がわからない)に囲まれて記念撮影。あちらは少人数だが、オーラがすごい。有名人に会う機会がなかなかない我ら田舎者は「失敬!」とこっそりその姿をパチリ。あとで家族にでも自慢しよう。

隣のパーティ会場に移動。文藝春秋社の忘年会も兼ねての総勢1600人とか。なるほど人の波。かき分けかき分け、受賞関係者は奥の別の部屋に案内された。おいしそうな料理がずらり。じつは、これを楽しみにしていた。「うまいもの、珍しいものが食えるぞ」と同行者にも吹聴してきたのだが、残念ながら我輩は日本そばを2杯食べることができただけだった。いま考えるとじつに勿体無い。

というのも、この人数の中では大変、と食事の前に人探しから始めたからだ。大宅壮一文庫のかつての同僚・糸川さん、大場さんをやっと見つけたのだが、そこが日本そばの屋台の前だったのが運の尽き。懐かしいので、ふたりといろんな話に熱中したのはイイが、話をしながら食べることができたのはそば2杯! ま、うまいものよりもふたりとたくさん話ができたのをヨシとしよう。これまでもそんなふうに生き……。なつかしい植田康夫副理事長にもお会いできた。大宅映子理事長には受賞式の会場でごあいさつした。

ああ、ダラダラと文章が長くなりそうなので、このへんで終わりにするが、このパーティのあと、パーティに参加することのできなかった人たちも交えて近くの沖縄料理屋で二次会を開いたことも報告しておこう。尊敬する森口豁さんと下嶋哲朗さん、朝日新聞の篠崎さん、中井さん、辞典の編集にかかわった波照間先生、小川さん、小林さん、それに後藤さん、大宅壮一文庫のみなさん(糸川・大場さんのほかに3人が加わった)、そしてウチのスタッフ。嬉しかった。最高の夜だった。

と、もうひとつ。受賞とは関係ないが、久しぶりの東京で感じたことを書いておこう。電車のなかで、サラリーマン風の男と肩が触れ合ったら、すごい眼光で睨まれたこと。尋常ではない眼光。向こうの方に移動していったので、ああクワバラ、クワバラ、と思った。養老孟司の言葉を思い出した。宮崎駿との対談(『虫目とアニ眼』)で次のように言っている。

「満員電車が臭うでしょう。要するに、そばに寄るなという忌避物質というんですけど、それを確かに出している。パヒューマーという職業的に匂いをかぎ分ける人たちがいるんですけれど、その人に赤ん坊がいて、田舎に帰ったとき、寝ている赤ん坊のすぐそばをでっかいムカデが歩いていた。そうしたら、その瞬間にパッと自分の体臭が臭った」「猛獣でも怖がらなければ馴らせるでしょう、子どもなんかも。あれ、結局、忌避物質を出さないからなんですね」

複雑な気持ちで東京から帰ってきた次第。

(写真は、第59回菊池寛賞贈呈式で目録を受ける前新透先生)

竹富方言辞典  

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2011年10月25日

『竹富方言辞典』菊池寛賞受賞!




前新透著『竹富方言辞典』が第59回菊池寛賞を受賞しました。去る10月19日に発表になりました。受賞理由は次の通りです。

「前新透氏が二十七年の歳月をかけて採集した方言を収録し、日本最南端の出版社から刊行されたこの辞典は、琉球語と日本語の古層、民俗を研究するための貴重な文化遺産である」

著者の前新透先生は、今年数え88歳。米寿のお祝いに大きな賞が花を添えてくれました。記者会見で「大和にまで評価されるとは」と驚き、嬉しさを隠しきれない様子でした。受賞式に参加するのだと、最近は近所をゆっくりゆっくり散歩して足腰を鍛えています。

ところで今年2月の出版以来、ことあるごとに「小さな島の大きな辞典」をアピールしてきました。しかし、私たちもまさか菊池寛賞のような大きな賞をいただくことになろうとは夢にも思いませんでした。まさにホンモノの「大きな辞典」になった? 大きな喜びです。

それにしても、よくぞこんな日本の片隅で生まれた出版物を見つけてくださったものと感激です。ちなみに、去年の新刊書籍は74714点だったそうですから、星の数ほどあるそのなかから、『竹富方言辞典』を見つけてくださったその方に感謝です。

そして、よくぞ光を当ててくださった。地道にコツコツと積み上げてきたこれまでの私たちの仕事の全体が評価されたような気もして感無量です。これからも頑張ってと神様に尻を押された感じです。ありがたい。

じつは菊池寛賞にかかわるのはこれで2度目です。大宅壮一文庫が1982年に第30回菊池寛賞を受賞したとき私はそこの職員でした。あれから30年目にふたたび同じ賞にかかわるとはこれまた不思議な縁を感じます。東京と八重山で。

私たち南山舎は「八重山応援団」を自認しています。地元で多くの人たちといっしょに八重山に声援を送っています。そこに外からの応援が加われば勇気百倍です。お世話になっているみなさまに感謝し、改めて、今後ともどうぞよろしくお願いします。

(写真は10月19日、南山舎での受賞記者会見の様子。中央前新透氏、右・編著者の高嶺方祐氏、左・編著者の入里照男氏、)

竹富方言辞典
  

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2011年09月26日

1:1:8



机のまわりを整理していたら、新聞記事の切抜きが出てきた。

保阪正康が次のように言っている。

「私はこれまで昭和史を調べる中で、のべ4千人の方に話をうかがってきました。それで気づいたことがあるんです。1割の人は本当のことをいう、1割の人は最初からうそを言う、8割の人は記憶を美化し、操作する。この8割というのは実は我々なんです。悪人じゃないけどうそをついている。本を徹底的に読んでいないと、そうした証言の真意は判断できないと思う」(朝日新聞2010.10.26「追憶の風景」)

多くの人に話を聞くのがわれわれの主な仕事だが、ときに保阪氏の上のことばを肝に銘じたいと思う。

『月刊やいま』10月号ができました。今号の特集は「竹富島 世迎いと結願祭」です。

月刊やいま2011年10月号
  

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2011年09月20日

伊土名にて。



久しぶりに石垣島北部の伊土名に行った。以前は『月刊やいま』の配達で月に一回は石垣島を一周していたので伊土名にも立ち寄っていたのだが、最近は、客人を案内して石垣島をまわるとか何か用事がなければなかなか行かない。

今回の伊土名行きの目的は、元教員の石川修さんを訪ねて40年前の八重山のソフトテニス(当時は軟式テニスといった)事情を取材するため。石川先生は当時中学校で嵩原栄勇先生らと一緒に熱心に子どもたちにテニスを教えていた。

数年前に野底小学校長で定年退職されて今は家族で石川農園を経営されている。伊土名バス停のそばのご自宅を改装した「農村喫茶」で、農園で獲れたマンゴーのジュースをいただきながらお話をうかがった。

無農薬でつくっているというマンゴージュースは、こってりしていかにも体にやさしい。ほかにもシークァーサージュース、マンゴー・パイン・シークァーサーのミックスジュースなどがある。ジャムも売っている。時期には獲れたて生果の販売もするという。

じつは、この場所を訪ねたのは今回が初めてではない。ずっと以前に石川先生のお父さん真治さんにお話をうかがったことがある。「お元気ですか」と尋ねると「はあもう、いちばん元気!」とのこと。89歳になられるという。かつて話をうかがったことのあるお年寄りが元気だと聞くと、なにやらほっとして嬉しくなる。

見せてもらったのが上の写真。右端が真治さん。真治さんは戦後八重山の開拓移民業務をおこなった資源局の職員であったが、農業がやりたいということで公務員を辞めて伊土名に入植した人である。1954年(昭和29)のことだという。以来農業ひとすじ。

しかし、戦後八重山(とくに開拓地)の農業は大変だった。一時はパイン景気に沸いたこともあったが、過酷な自然のたたかいであった。とくに1971年(昭和46)の大干ばつと台風ベスによる農家の惨状は未だに語り草になっている。自殺者も出た。

1971年というのは復帰の前年だが、その数年前から本土企業による土地の買い占めがおこっており、干ばつと台風のダブルパンチで多くの人が農地を手放し、島を出て行った。『ドキュメント・八重山開拓移民』(金城朝夫・1988年)によると、石垣島・西表島への入植(計画移民・自由移民合計)は「1211世帯5359人」であったが。復帰2、3年後には「401世帯2153人」がいなくなっているとしている。

今のうちに昔のことをお年寄りに聞かなければ、と思いながら帰途に。途中、浜に下りて、ションベンをやって、3回深呼吸をしたら、耳元を通り過ぎる風が何かを言ったようだったが、はっきり聞こえなかった。




  

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2011年09月10日

鍬の気持ち



昨夜は竹富島に泊った。1週間に1度が目標だが、えへん、今週はこれで2度目。やっぱり竹富はいいなあ、と思う。いえいえ、夕方行って翌朝9時には事務所に入るのでほとんど仕事に支障はありません。なにしろ石垣・竹富間フェリーで15分ですから。

上の写真は、パパヤの葉の上の朝露。今朝は珍しく早起きしたので庭に出たら、気持ちいい朝の空気に、この朝露。パパヤの小さな苗ふたつを発見したのはこのまえ来たときで、マイヤシ(ヒンプン)の隅のほうに神様が植えたようにふたつキレイに並んでいる。

竹富に行く最大の目的は家屋敷の掃除。まず家の中をきれいにして、陽が傾いてから庭の草取りを始める。ところがこの草取りが大変なのだ(やぶ蚊に刺されながらだし)。半月も空けると草ボウボウで夕方の1、2時間だけでは手に負えないので、だからせめて週イチなのである。

そこで前回は、思いついて鍬を持っていった。これが大成功だった。庭の草取りを1時間で終えて、さらに西の畑のムチャラ(イノコズチ。ヒユ科の多年草。果実の苞などにとげがあり、衣服に付着するものの総称。ムチャ<粘りのあるさま>とくっ付くことからの名称か。=竹富方言辞典)を4分の1ほど退治できた。

鍬の気持ちになれたのである。これまでは、ヘラをつかってヘラの目線で草取りをしてきたのだが、鍬をつかうと、大きな気持ちになってわずかな草の取り残しが気にならなくなった。取り残しはあとでヘラでやればいいや。で、今回はムチャラ退治一歩手前まですすんだ。

作業がすすむとすっきりした気持ちで、さて、竹富島の静かな長い夜をすごすのである。テレビがない(これまでの小さなアナログテレビは石垣に持っていって廃棄した。竹富で廃棄すると料金がかなりかかるらしい)ので、何気にというより、かなり意識的に時間をつかう。

小生にとってはいいことがもうひとつある。胃腸の休養である。夕飯の弁当を食べると、あとはせいぜいコーヒー一杯と、ほかは水。家にいると次から次になにかを口に放り入れなければ気がすまないのだが、ここでは不思議にそれがない。

それに、早起きすれば、口に含みたくなるような朝露にも出会うことができるのだから、ああ、できれば今週のように、週に2回は竹富島に行きたいものだ、と鍬の気持ちで言っておこう。
  

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2011年09月03日

アイヌソイ、イルヌソイ



今朝8時45分の竹富島の海上は霞んでいた。写真は桟橋から西のほうを写したもの。防波堤のむこうの海上に飛び出ている岩は、中央に写っているのがイルノソイ、その右手がアイヌソイである。

いま、大田静男さんの本「とぅばらーま」(仮称)をつくっているが、そのなかにアイヌソイとイルヌソイが登場する。ふたつの岩に住む鼠の婚約にまつわるバッカイ(滑稽)トゥバラーマ。一部紹介しよう。次のような歌。

西(イン)ぬそうるぬ鼠(ウヤンチュ)とぅ 東(アン)ぬそうるぬ鼠(ウヤンチュ)とぅ
夫婦(ミウトゥ)ばなるんでどぅ しうそんがどぅ
魚(イズ)ば獲(トゥ)りき 供饌(クバン)ば盛(ムリ)って なるか ならぬか
ンゾウーシーヌ 一つ(ピテージィ)ぬ二つ(フタージィ)

意味は、「竹富島の東西のソウル岩に棲む鼠が夫婦になろうとして魚を獲ってきて供餞を盛ってなるかならないか思案している」というもの。さて、大田さんの解説文の一部。

―面白可笑しく抑揚の節回しでうたうバッカイ(滑稽)トゥバラーマである。故国吉長伸翁の自由奔放なうたい方に思わず拍手。ある古老の話によれば、東の岩の男鼠が西岩の美女?鼠に結婚を申し込むため、魚を獲ってきて供饌をつくり婚約の準備をしたが、西の岩の鼠はその期に及んで、親兄弟と分かれて、東の岩に嫁入りすべきか「なるかならないか」悩んでいる。「一つぬ二つ」は一緒になろうか婚約を破棄しもとの二人になろうかという花嫁候補の悩める心境だそうな。しかし、別の古老は海を隔てているため婚約が「なるかならないか」は男鼠の心境、「一の二つ」は一心同体のことであると。暗喩は難しいね。―
  

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2011年07月06日

ナネーズ



写真は石垣市立八重山博物館前の桑の実である。桑の実のことを石垣方言ではナネーズという。そして、どれどれ、竹富方言辞典、竹富方言辞典(南山舎発行の『竹富方言辞典』をどうぞよろしく)…。竹富方言では、ナニチという。

これは6月24日に撮影したものだが、昨日(7月5日)通りがけに見たら、実は全部落ちてしまってひとつも残っていなかった。ああ、もうすこし食べたかったのに。残念。

最近は桑の実を食べる人を見かけないが、僕らの子どものころはよく食べた。あのころ(1960年ごろ)、石垣市街地ではもう養蚕をやっている農家はほとんどなかったと思うが、屋敷に桑の木が立っている家はけっこうあった。

当時は便所はたいてい母屋とはべつに屋敷の一角につくられており、なぜだか桑の木は便所の近くに多かったように思う。いや、もしかしたら、葉で尻を拭く目的で桑の木を近くに植えたということもあるのかもしれない。

桑の実は2種類あった。石ナネーズ、水ナネーズと呼んで区別していた。写真のものは石ナネーズ。水ナネーズは、もっと大ぶりで、熟しても石ナネーズのようにまっ黒にならずピンク色をしていた。今は水ナネーズを見ることがないが、どこかにあるのだろうか。

どちらも甘くて美味しかったが、僕は水っぽい水ナネーズのほうが好きだった。ナネーズを集めて空き缶で煮詰めてジャムにして食べたりもした。今でも、木に登って、口の周りと手を藍色に染めて笑っている友人の顔を思い浮かべることができるが、同時に、口中にナネーズの緑の味(どういうわけか、そうなのだ)も甦る。
  

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